2014年3月 6日 (木)

僕等は侵略者の子供達だった2

爺は退院しました。自宅に戻って、さあ本領発揮するかと思いきや、ベッドへ直行。

まったくどれだけ寝れば気が済むのかね。

入院中も殆んどを寝て過ごしたようです。担当の看護師さんが「返事はいいんだけれど・・・(→返事だけで見事に何もしない)」とこぼしておられました。

爺、晩年の坂を転がるどころか、踏み外しちゃったんですかね。それならそれで対策を立てないと・・・

さて、続きです。

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「1946年、北京から引揚げ船で送還された少年の物語」

2 重い扉をバラバラと叩くつぶての音が、敗戦の知らせであった

 あの日、古びた重い鋲打ちの木の扉をバラバラと叩くつぶての音が、僕にとっての敗戦の知らせであった。その小石を投げていたのが、顔見知りの朝鮮人の子供であったことは僕を悲しい静かな怒りで満たしはしたが、僕はそれを誰に向ければいいのかは知らなかった。彼等の甲高い日本語の罵声、ぼんやりと、しかしなぜか、心の中ではっきりと意味が掴めたと思えるあの奇妙な、そして僕等の喧嘩のルールに外れた言葉、その激しい響きが最初から僕をうちのめしていた。

 「お前等、アメリカ兵が恐くて外に出られないんだろう。」

 僕はそれまでにアメリカ兵なんて見たこともなかったけど、そう言われて、何も言い返せなかったのだ。僕の手は、手垢で黒光りした鉄の把手をカタリと落としていた。

 あの時僕は、大きな門の蔭の静まりの中に、中国人の門番の子と二人っきりだった。言葉の通じないその子とはかくれんぼと石けりしか一緒に出来なかったが、それでも仲良しだった。でもあの時は、黙って顔を見合わせていただけなのに、僕等は話していたのだ。あの子は僕に、これもかくれんぼだよ、と言っていた。だから僕は静かに身を固くしていた。そしてつぶての音が止んでしまっても、僕はあそこに立ちつくしていなければならなかったのだ。

 時々覗き窓を開けて様子を見ていた胡同も、門の屋根の下と同じ暗さに包まれ始めた頃になって、チカラさんが帰って来た。

 「今日は喧嘩しなかったようだな、中隊長。」

 僕の頭を撫でながら言った。その言葉はいつものようだったけれど、その眼には優しい笑いがこもっていなかった。それをじっと見守っている内に、僕の視界はそれまでこらえていた涙でぼやけてくるのだった。

 「どうした中隊長、元気がないぞ。」

 いつもなら僕が泣きべそをかくと、どやしつけるチカラさんが、それだけ言うと僕を肩に乗せて、母屋に向って歩き出した。

 チカラさんばかりでなく家族の皆が僕のことを中隊長というのは、こういう訳だ。僕等の国民学校では、朝礼や観閲式の時に、級長が小隊長、それから交代で中隊長、最上級の六年生の場合には大隊長が出来るということになっていた。僕は初めて中隊長になる時に、敬礼する手の甲をきれいにしようと軽石でこすり過ぎて、結局赤チンだらけにしてしまった。その時ついたのが、赤チン中隊長というアダ名だった。それを言われるたびに当然、僕がカンカンになって怒るので、中隊長の方だけ残したのだ。

 チカラさんはその時こういった。

 「中隊長や、小隊長は先頭に立って突撃するんだぞ。勇敢な男じゃなけりゃいかん。アダ名にしても中隊長と呼ばれるからにゃ、それくらいの度胸をそなえとかんと笑い者にされるぞ。ええか、中隊長。」

 だが僕はあの時、門を開けることさえ出来なかったのだ。僕はあの朝鮮人の子供達に始めから負けていたのだ。

 あの日が何月の何日であったか、僕には分らない。だけど僕はあの日を鮮やかに思い出すことが出来る。万寿山の池でエビを掬っている時に落としたので、かわりに新しく買ったばかりだった戦闘帽をいじりながら聞いた雑音ばかりの天皇陛下の放送や、夕焼けの校庭で沢山の紙を燃やしたり何かをこわしては力いっぱいにプールの水に投げ込んでいた先生達の見馴れぬ表情などと結びついて、あの日の出来事が思い出せるのだ。そしてチカラさんの肩にまたがって見た母屋の構えを最后にして、あの日は終った。そのあとには僕の北京は残っていない。僕が北京を去ったのは、だから、あの日に違いないのだ。

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写真は、 『「図説」戦争の中の子どもたち』 山中恒 河出書房新社 1989年8月1日 51頁「内地・外地・占領地の子どもたち」より引用。

Boykousin

写真説明:校庭を行進する朝鮮の国民学校の子どもたち◎「週刊少国民」43年4月25日・朝日新聞社

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2014年2月28日 (金)

僕等は侵略者の子供達だった1

ども。馬です。野次馬です。

ご無沙汰しまくりました。まあ、いろいろありますから・・・(^-^;

・・・爺ははまた入院しましたですよ。まもなく退院予定ですけど。

入退院と全く関係ありませんのですが、退院記念に爺の自伝的な短編でもいかがでしょうかと。爺のHPからひっぱってきました。若かりし頃の爺の青臭くまわりくどい表現が身上です。

題して『僕等は侵略者の子供達だった』。10回分割です。

原題は「時代の始まり」という、さっぱりわからないもの。馬が勝手に改題しちゃいました。

「1946年、北京から引揚げ船で送還された少年の物語」が副題です。

さあ、はじまりはじまりいー。

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1 僕等は侵略者の子供達だった

 僕は東京行の汽車に乗っていた。それは敗戦の混乱が最早、無秩序の故の生気さえも失って、大人達の眼の中には絶望か、さもなくば、薄汚い欲望しか見出せなくなっていた時期であった。ごたごたしたホームを一生懸命に走って、やっと見つけた座席は、後から乗り込んだ復員服の若者に割りこまれて、肘掛けに胸を押しつけねばならぬ狭さになった。だがこれは、僕が小さかったのだから仕方がない。離れて坐っていた母も、妹をあやしながら、そうなのですよ、と頷いていたのだった。

 しかし、その小さな僕が傍目もふらずに読みふけっていた本に眼を止める大人達の虚ろな表情はどうだっただろう。もしその中の誰か一人でも、あの本について、それとも僕の熱心さについて、一言でも口を開いてくれたなら、僕は昂然と頭を上げて何かを答えたに違いない。それがもし、大人達の興味を引かなかったとしても。

 その本は三国志だった。そして僕にとっては、チカラさんの遺品でもあった。

 「中隊長、大きくなったらこの本をやるからな。これを何度も読んで三国志の英雄達に負けない立派な大人になるんだぞ、ええか。」

 チカラさんはこう言って僕の頭を撫で、自らもその英雄の一人であるかのように雄々しく胸を張り、太い眉を上げるのだった。

 そのチカラさんは死んでしまった。だが僕は何巻もの重い本を持ち帰ったのだ。

* * *

 新中国の首都、北京、人民公園のある都。――僕が毎日のように訪れ、スケートをし、魚を掬った、あの湖のように馬鹿でかい池のあった公園も、それより少し小さいけれど、街の真中にでんと坐って、棗が沢山とれる丘を抱えこんだ公園、それに休日にはみんなでボートや遊覧船に乗りに行った万寿山公園も、それらは全て離宮として作られ、庶民を拒んでいたものだった。

 その離宮の跡に僕等がいた。僕等は、万寿山の本当に底の砂粒まで透き通って見える水に戯れる侵略者の子供達だった。その時、北京は僕等のものだった。

 今の、何もかも変ってしまったように思える新しい北京は、僕等のものではあり得ないのだ。

 僕の北京はあの日に終ってしまった。

 だだっ広い大通りも、迷路のようにまがりくねった細い胡同も、赤と緑のけばけばしい模様がまるでそのために家や門が作られてでもいるかのように所狭しと交錯していたあの大小の家々も、たちまちに消え去ってしまったのだ。そして今では、僕の北京はあの最后に住んでいた胡同の大きな家の記憶としてのみ鮮やかに残っているのだ。

 北京でも幾度か引っ越したが、僕はあの大きな家で日本が負けたことを知った。日本が戦争をしている、何者かと戦っているということは、僕等にとっては、時々高空に描き出される飛行機雲によって、それも教えられて初めてはっきりと形が与えられて、そうと知るだけだった。

 それなのに、僕はあの日に、確かに敗れたのだ。その事実だけが、今となっては、僕が北京にいたことを確かにさせてくれるのだ。

  ※胡同・・・狭い道、路地

(写真は幼い頃の爺です。まあ、可愛かったこと・・・)

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2013年6月11日 (火)

廃用症候群

お久しぶりでございます。

斯く申すワタクシは駄馬にて候。

愛爺は相変わらず、何も書こうとはいたしませぬ。

前回の更新が2年ちょっと前、東日本大震災の直前でございました。

愛爺の住む東京地方も大揺れになりましたが、爺宅に被害はありませんでした。

改めて犠牲になられました方々をお悼み申しあげます。

さて、爺様は実は3ヶ月ほど入院しておりました。あんなことこんなことそんなことがありまして、救急車で病院に運ばれ、当座は肺炎治療を受けましたが、同時に重大なことも発覚。

見事な廃用症候群でした。

wikipediaによりますと、

〈廃用症候群(はいようしょうこうぐん、英: disuse syndrome)とは、安静状態が長期に渡って続く事によって起こる、さまざまな心身の機能低下等を指す。生活不活発病とも呼ばれる。特に病床で寝たきり状態でいることによって起こる症状が多い。〉

自主的に寝たきりをやってましたからねえ。

愛爺は心身ともに自分に絶対の自信がありますようで、ヒトの言うこと聞かんのですよ。特に駄馬のいななきなんぞ、東の方から吹く風の如くに聞き流し・・・

だもんで、今回は有無を言わさずリハビリテーション病院に放り込みました。

放り込むったって、転院するのは大変でしたよ。

当初運ばれた病院からは「まず無理。ウチの患者さんほとんど入れなかった」と言われ、リハビリテーション病院からは「今満床。空きが出たときにタイミングがあえばいいんですけど、お待ちの方がいらっしゃいますし・・・」

絶望的でしたが、愛爺の運が強かったのか、けなげな馬を神様(のようなものも含めて)認めてくれたのか、「受け入れOK」となりましたですよ。

喜べ、爺様。

なのに、愛爺は「もう良くなったからウチへ帰る」とダダをこねくり回します。

うるせえ、最大期限の3ヶ月間入院してろ、と馬は切れますわな。

切れますけど、爺様、しまいには看護師さんの言うことも聞かなくなりまして、リハビリテーション病院だというのに、ヒマさえあれば寝てばかり・・・

馬、ギブアップ。

かくして爺様の希望通り退院しました。ただし、デイケアでリハビリテーションに通うという条件で。

今のところ素直に通っていますが、さあ、どの辺で「もう良くなったから行かない」と言い出すかな。

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2011年3月 3日 (木)

木村書店処分セール

どもども馬です。

木村書店処分セール第2弾やってます。

今回は、「ヒトラー・ホロコースト神話検証」と「アウシュビッツの争点」と「読売新聞・歴史検証」です。

欲しい方にはお買い得価格となっております。

(欲しくない方にはタダでもいらんものです。)

詳細は爺のホームページから御覧下さいまし。

本日、永遠の女の子の祭典、桃の節句。バレンタインデーなんぞより重要です。

  雛壇に 並んでみたい 馬の骨

  白酒で 虎ジマ馬が できあがり

  東風吹かば 思い起こすぞ 恨みつらみ (字余り)

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2010年12月14日 (火)

木村書店棚卸しセール

どもども。馬です。

只今、木村書店棚卸しセールをやっております。というか、始めました。

(冷やし中華始めました、みたいな感じです・・・この寒いのに例えが間違っている・・・)

年末大掃除の前倒しのつもりが、在庫の山にうんざりしたもので、この際安くして売り払ってしまおうかと・・・

手始めは「真相の深層」です。全20巻の在庫に非常にばらつきがありまして、一部の号が残10部を切りました。つまり全巻揃いはあと少ししかありません。

馬思うに、プレミアムがつくだろうと期待するよな代物ではないと・・・売れるものなら売ってしまおうと・・・(木村教信者の方々に袋叩きにあいそうな発言をしてしまった・・・)(^-^;

第1弾と銘打ちましたが、第2弾、3弾を何にするかは全く考えていません。ご希望がありましたら、コメントくださいまし。

ではでは。

   物言えば 背筋が寒い 馬の骨

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2010年12月 1日 (水)

骨折1周年

大いに御無沙汰いたしております。馬です。

さて、ジイの文筆生活復帰を狙って始めたブログですが、肝心のご本人は生返事ばかりで全く書こうとしません。

業を煮やした馬がときどき勝手に書き込みをしておりました。

多分この後もジイ本人が書くことはなく、暴露話にも限界がありますし、馬もこれ以上何を書いたらなあ・・・という気分です。

しかしジイの近況報告はしておきたい。

ですので今後は、憎まれ愚痴サイトのどこかにある隠し部屋(小部屋)にジイの実態報告をいたします。

こちらのブログには時々当たり障りのない話を載せていこうかな、と考えています。

とりあえず今まで読んでくださった皆様、ありがとうございました。

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2010年8月27日 (金)

残残暑お見舞い

御無沙汰しております。馬です。

立秋すぎても処暑すぎてもいつまでも暑い日が続きます。9月も暑いそうです。

さて、久し振りの更新は、またしても「骨折」ネタです。

本日またしても爺が骨折しました。

自転車で転んじゃったから、と馬のところに電話が掛ってきました。迎えに来て欲しいと。転んだだけなら起きて帰って来い、といいたくなるのですが、爺には腰椎圧迫骨折の前科があります。

引き出しを引っ掻き回して、前回お世話になった病院の診察券を持っていきました。

爺は「手首をくじいた」だけ、と申しますが、馬のみるところ腫れています。爺の言を信用しては危ない。強引に病院へ引っ張っていきましたら、レントゲン検査などしまして、「左手首骨折」が判明・・・・

自転車も、転んで変形したのか、病院まで引っ張っていって鍵をかけたら、そのご開錠できなくなりました。近くの自転車屋へ馬がずりずり引っ張っていって鍵を取り替えるはめに。

いやあ、炎天下で自転車を引きずっていくのって、楽しいですねえ。汗はだらだら流れるし、道行く人はじろじろ見つめるし・・・

はあ、これから先が思いやられる。とりあえず土日は爺のお世話係で休日出社せねば。

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2010年8月 4日 (水)

書中お見舞い申し上げます

連日猛暑ですが、暦の上ではもうすぐ秋。

まだ夏真っ盛りだろ~、と思いつつも、風がふと秋の気配だったりもします。

さて、5月に苗を3種類買ってきてベランダの鉢に植えました。

何の苗でしょうね~と言いつつ、一つはすぐ花が咲いて、朝顔と判明。現在はうじゃうじゃと繁ってグリーンカーテンになりかかっています。

もう一つは赤い実がついて、プチトマトと判明。これも旺盛に繁っております。

そして、残りの一つ。これもうじゃうじゃとグリーンカーテン化しております。高いところがお好きと見えて、ベランダの天井からぶら下がる物干し掛けに絡み付いています。

さあ、なんでしょねえ~。ヒントは写真中央に咲いた雌花。ふっふっふ。無事受粉したら面白い実がなります。ふっふっふ・・・・

100804hana2

もっかの馬の心配は、これらの植物が留守中に枯れないかということと、朝出社した時に、爺が熱中症でのびていないかということです。

まこと、爺はこの○○暑いのをものともせず、閉め切って引きこもり遊ばすのです。一人で仙人をやろうというのでしょうか・・・

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2010年7月28日 (水)

爺の頭も熟れてます

ベランダのプチトマトがぼこぼこと実をつけ、熟れ始めました。

馬が出社しない時は、水やりをしてくださいね、と念を押しているのに、爺は毎度すっからかんとお忘れになるので、週明けはいつもベランダの鉢物が枯れ死寸前です。

100728tomato2

御無沙汰いたしております。爺は生返事だけで、いっこうに自分でブログを更新しようとしません。

馬は、アニメソフトの30日間無料お試し版をダウンロードしてインストールしたので、期限切れにならないうちにと、仕事の合い間にいじりまわしておりますもので、爺のブログはとかく後回し・・・・

近頃、爺の頭も熟れてきたのではないかと思うことしきりです。この○○暑いのに、社屋(というほどのものでもありませんが)の窓という窓を閉め切ってお昼寝をしております。

とばっちりをくって蒸し焼きになりそうな馬が開けても開けてもいつの間にか閉め切ってある・・・(冷房設備ありません)。

冷水に漬けたら少しはましになるかと、以前の日課だったプール通いを進めても生返事ばかり。なら水風呂に漬けましょうか、と考える馬も暑気当りしてるかも。

結局水風呂は貯めた水が無駄になっただけでした。涼しくなればなんとかなるかもしれませんが、暑さはこれからがピーク・・・

爺が古書店カタログでせっせと資料集めしている本は、そろそろ4年越しです。聞けば「1年以内に完成させる」とおっしゃるのですが、4年前にもそう言っていたよな気が・・・

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2010年7月 7日 (水)

実がなった

更新が少々滞ってしまいました。相も変わらず「馬」です。

浮世の常で、金の流れてくる向きに頭を下げて刻苦勉励いたしますもので、一銭にもならぬブログの更新なんぞ後回し・・・というのも真実でありますが、今回の更新遅れの最大の理由は、「ネタ切れ」です。

「爺の肖像」の続きを書きたいのですが、肝心の爺が何にも思い出してくれません。過去に爺の書き散らした雑文を漁るのも限界があります。

かといって、大幅省略して、小学生時代からいきなり現在に飛ぶのも・・・

コツコツとネタを拾ってゆきます。

で、ネタに困った時の植物話。5月に「何ができるかな・・・」に登場した3種の苗。1つは早々と花が咲いて、朝顔であることが判明しました。いますくすくと蔓を伸ばしています。

残り2つは実が成るものでした。

↓実がなってます。未熟ですが、明らかにトマト。

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もう1つはすくすく伸びている最中です。育て方のサイト記事によりますと、明らかにソレと形のわかる花芽が出るはずなのですが、今のところ不発。

出てきたらアップします。へんてこりんな「実」の予定です。

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悩みの種は、「馬」が不在になる週末の水遣りです。爺になんどか念を押しましたが、昼行灯様は相変らず空返事がモットーのようで、月曜日にみるといつもくったりしています。

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